日本が高度経済成長を果たし、大阪万博開催を間近に控えた1968(昭和43)年、当社は関西電力の料金計算センターを前身として、そのスタートを切った。社名は業界の中心的存在として成長する決意を込め、中央コンピューターと命名された。
業務内容はコンピューターのプログラミング、データ入力および運用や保守である。需要は多く、得意先も急速に拡大した。主となる電力会社に加え、電機、繊維、化学などのメーカーや、商社、金融機関、流通、さらに地方公共団体など、いずれも大手であった。東京に進出し拠点を設け、従業員も急増した。鳥取県米子にも分室を設置した。当社の社訓となる「信用第一」「自己啓発」「明朗な社風」の3原則が定められたのは設立3年目(1971年)である。
1970 年代後半になると、事務効率化のため企業のコンピューター導入が進み、当社は国内市場をリードする富士通との取引関係を強化した。